「横浜ピア・サポート研究会」設立にあたって


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 私たち「横浜ピア・サポート研究会」は、1998年2月に横浜の三校種教育研究会がカナダのトレバー・コール氏を招いたときから、「日本のピア・サポート」の可能性を探るため、横浜市教職員組合の支援のもと、2年近くにわたって自主的な研究会を持ち続けてきました。
 その中で確認されてきたことは、「ピア・サポート」は、即効性を期待して行う対症療法的なトレーニング・プログラムではなく、学級や教科、個人の利害を超えた「広がり」と、それに続く活動を含む長期的な「見通し」をもって取り組むことにより、教職員や保護者の意識(子ども観、学校観、教育観)を変え、ひいては問題を抱えている現在の学校のあり方、教育のあり方までをも変えうる可能性を秘めている、ということです。
 しかし、その一方で、安易な気持ちで実施することは非常に危険であることも確認されてきました。体験的な活動は子どもの感情を大きく揺さぶるだけに、子どもの心に配慮した慎重なトレーニングの実施と、子どもの心を受けとめ得る事後の活動計画のもとに実施されねばならないこと、プログラムのもつ効果やその結果もたらされる子ども同士の支え合いの効果を指導者の個人的力量によるものと錯覚し、「子どもを操る・手なづける」活動に終始しかねないこと、などです。
 そのため、私たちの研究会では、「ピア・サポート」をより効果的なプログラムにしていくための研究を行う一方で、私たちの思い描く「日本のピア・サポート」(あるいは、「日本のピア・サポート・プログラム」)の概念を明確にしたり、日本に合ったトレーニング・プログラムを開発したり、適切な実施のためのガイドラインの検討などを行ってきたりしました。

 私たちは、「日本のピア・サポート(・プログラム)」を「ゲームやロ一ルプレイングを活用した体験的なトレーニングを通して、子どもたちの基礎的な社会的スキル(技能)を段階的に育て、最終的には子ども同士(仲間=Peer)が互いに支えあえるような関係をつくりだそうとする取り組み」と規定しています。
 ここで大切なことは、体験的なトレーニングがめざしているものが、あくまでも基礎的な社会的スキルであるという点です。決して「トレーニングで子どもを変える」ことをめざしているわけではありません。とりあえず、子ども同士が相互に関わり合いをもてるだけの最低限の社会的スキルをトレーニングすることにより、彼らの「気づき」を促すこと、そして、その後の活動が彼らにさらなる「気づき」につながるよう、スキルの消化・定着につながるよう、その下地をつくること、をねらいとしているのです。
 今、子どもたちは変わってきています。大人顔負けの情報量をもつ子どもや、大人顔負けの自己主張ができる子どもが現れている一方で、社会体験や自然体験の不足からでしょうか、他者とうまく関われない子どもも増えています。大人びた言動の反面、精神的・社会的な面では幼い子どもたちです。いじめや不登校、いわゆる「学級崩壊」の背景には、そうした子どもの変化と、それにうまく対応できないでいる大人の存在が、あるのでしょう。
 そうした新しい子どもたちには、旧来からの指導法はそのままの形では通用しなくなってきています。なぜなら、かつての指導法は、子どもたちが家庭や地域、近隣の子ども同士の関係の中で体験してきたこと、そこで得たであろう気持ちや気づきを前提にして成り立っているものだからです。その前提となる基礎的な体験が乏しくなってきた以上、旧来の指導法が通用しなくなる、効果を上げにくくなるのは、当然のことでしょう。
 だからと言って、今までの指導法をすべて捨てさり、まったく新しいものへと変えていかなければならないわけではありません。ただ、これまでの指導法のように、いきなり言葉で指導を始めようとしても無理ですから、まず彼らに欠けている基礎的な体験を補い、彼らの気持ちが育つような下地をつくることが必要です。そうすれば、旧来の指導法であっても十分に通用する(子どもに受けとめてもらえる)と考えるからです。
 また、海外の学校と比べると、日本の学校では異学年交流や生徒会活動等を取り入れるなど、ただ授業を受けるにとどまらず、子どもたちが主体的に学ぶ場をつくる工夫もされてきました。しかし、せっかくのそうした活動も、子どもの基礎的な体験が乏しくなる中で実を結びにくくなっています。その結果、大人があれこれと手をかけてしまい、「教職員中心」の「やらされている」活動になりがちです。
 「日本のピア・サポート」の体験的なトレーニングは、これまでの指導法や活動の前提となる社会的スキルを補ない、授業や活動の中で子ども同士が関わり合いながら育つための条件を整える、いわば「下地づくり」です。だから、基礎的な社会的スキル以上のものを「教え込む」こと、「トレーニングで子どもを変える」ことはありません。

 そもそも「日本のピア・サポート・プログラム」は、決してトレーニング・プログラムだけを指すものでも、それだけで完結しているものでもなく、それに続く実践の場をも視野に入れて組み立てられる全体的なプログラムを指しています。ですから「トレーニング(だけ)で子どもが変わった」と表現することについては、慎重でありたいと思っています。その後に続く子ども同士の、あるいは大人も含めた日常の交流の中でこそ、子どもも大人も変わりうることを強く期待しているからです。
 トレーニングの段階では、むしろ「指導をする側のはずの大人が変わる」ことのほうがよく見られることですし、そのことはとても大切なことであると考えます。なぜなら、「指導をする」、「教育をする」、「子どもを支援する」、「子どもを受けとめる」といったことについて、私たちに自省を促すからです。そして、「子どもを育てる」ということに何が必要なのかを、大人に何ができるのかを、考えさせてくれるからです。
 「トレーニングで子どもを変える」という発想は、子どもを保護されるべきもの、教え導かれねばならないもの、と見る傲慢なものでしかありません。もちろん、子どもは社会的に未熟な存在であることも確かです。ですから、その発達に応じて必要なことを学ぶことも求められます。だからこそ、私たちは最低限の社会的スキルをトレーニングします。そして、彼らが学んだスキルを発揮し、その力をのばし定着させる場を保証するようにもします。
 しかし、教職員が積極的に指導を行うのはあくまでも最初の段階のことであり、最終的には子ども自らが大人の手を離れて行動することをめざしていきます。大人が手を離しても大丈夫なように基礎をトレーニングし、後は彼ら自身が育ち合っていくことを重視している点が重要です。
 このことは、大人が何もしないで子ども任せにする態度とははっきりと異なります。まず、最小限のことは大人が指導をする。そのうえで、子どもが自分の能力を発揮し高めていける場を大人が保証する。子どもの関わり合いが生まれるような、活性化されるような条件整備を大人がする。つまり、一から十までを大人が指導してしまうのではなく、積極的に子ども同士の影響力を活かしていくけれども、そのための支援はしっかりと大人がしていくのです。
 また、このことは、大人の書いたシナリオを子ども自身が考えたかのように演じさせたり、大人の監視のもと、あるいは大人の機嫌を伺いつつ、子どもがすすんで(?)行動することとも異なります。見せかけだけの「子ども中心」、「子ども主導」の活動をめざしているわけではありません。

 そのような認識に立っているからこそ、私たちは「ピア・サポート」という言葉にこだわっています。なぜなら、それこそが私たちの求める最終的な形を意味しているからです。「子どもは子ども同士の中でこそ大きく育つ」という事実を重視するからこそ、それを可能にするために不可欠な最低限の社会的スキルのトレーニングも行っていくのであり、決してトレーニングが中心であったり最終目的であるわけではありません。
 ですから、いくらピア・サポートのトレー二ングで用いるゲーム等を使ったとしても、あるいは類似の体験的なトレーニングを行ったとしても、そうした認識に立たない活動、トレー二ングのみで終わって次にくる活動までをきちんと意識していない、保証していかない場合には、「ピア・サポート」と呼ぶべきではないと考えます。
 たとえば、学級の子どもを対象に学級担任が一人だけで実施すること、計画性を持たないで思いつき的に実施すること、単に仲良くなることだけが目的で実施すること、などについて、私たちは好ましいこととは考えていません。なぜなら、そこにはピア・サポートの最終目的に至るための「広がり」も「見通し」も欠けており、しばしば教職員(あるいは指導者)の自己満足に終わりがちだからです。
 もちろん、これは「横浜ピア・サポート研究会」の考えてきた「日本のピア・サポート・プログラム」についてのことです。全く別な立場で、全く別の考えに基づく「ピア・サポート」が存在することを否定するものではありません。実際、海外のピア・サポ一トには、そのような明確な規定をもたないものがあります。また、私たち自身、現在の形が最終形であるとは思っていませんから、「日本のピア・サポート・プログラム」も今のままではなく、変わり続けていくことでしょう。
 しかし、上に書いてきたような「何をもってピア・サポートと呼ぶのか」という基本認識については、これまでの「横浜ピア・サポート研究会」が培ってきた大切な財産として、今後も継承していくべきであると考えます。自由参加の勉強会であった「横浜ピア・サポート研究会」から、会員制の「横浜ピア・サポート研究会」として再スタートするにあたり、上に述べてきたことを我々の最低限の一致点として、いわば原点・原則にしたいと思います。そして、この原点や原則を外れた活動は、会として、また会員として、行ってはならないと考えます。

 このような、原点や原則を堅苦しいと感じる方もいることでしょう。しかし、何の原則もないまま「いろいろと違っていてもいい」、「好きなようにすればよい」と主張するのであれぱ、組織を作る必要はありません。この2年の間、「ピア・サポート」という名称の認知と普及のために、「横浜ピア・サポート研究会」の名のもと、様々な方が関わってくださり、種々の活動を行ってくることができました。そうした結果として「横浜ピア・サポート研究会」が得てきた期待と賞賛の恩恵を、新しい「横浜ピア・サポート研究会」という組織が受け継いでいくのです。そうである以上、そうした義務や制限が課せられるのは当然のことであると考えます。
 「日本のピア・サポート・プログラム」、あるいは「日本のピア・サポート」という呼び方とともに、その原点・原則を守り、確実に伝え続けていくことは、大げさな言い方をすれば、「横浜ピア・サポート研究会」とともに歩んできた横浜市立本郷中学校をはじめとする各学校、横浜市教職員組合、国立教育研究所、という諸機関の名誉を守ることにも関わることです。
 私たちの考える原点・原則を無視した活動でありながら、「日本のピア・サポート」や「横浜ピア・サポート研究会」の名を用いることを許せば、原点・原則をふまえない活動までをも上述の諸機関が推奨しているかのような誤解を与えることになります。そして、その活動がトラブルを引き起こしたとき、「日本のピア・サポート」や「横浜ピア・サポート研究会」が傷つくにとどまらず、上述の諸機関の名誉までもが傷つくことになります。
 そうした諸機関の名称を安易に用いることができないのと同様、「日本のピア・サポート・プログラム」あるいは「日本のピア・サポート」、「横浜ピア・サポート研究会」、「ピア・サポート・ジャパン」等の名称は、安易な気持ちで用いてはなりません。また、用いることを許すべきではないと考えます。原点・原則に従う気のない者を会員として認めることはできません。他者に対する強制力・拘束力をもたない私たちは、自らを厳しく律することによって、安易な取り組み、うわべだけの取り組み、似て非なる取り組みとの一線を画していく必要があるのです。
 もちろん、このことが、会への自由な参加を否定するものでないことはおわかりいただけるものと思います。私たちは、日本の社会の「財産」になる可能性を秘めた「日本のピア・サポート・プログラム」を守り育てていくためにこそ、集うはずだからです。この目標を実現していくために、上に述べた原点・原則だけは守り続けていく必要があると思います。
2000.4.1